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ムスリムとしてのオバマの子ども時代
ダニエル・パイプス http://www.danielpipes.org/12111/ Translation of the original text: Obama's Muslim Childhood バラック・オバマは共和党のライバルに対して、「ミット・ロムニーは何を隠しているのか?」と尋ねるテレビ広告を支援しながら、強引に振る舞ってきた。その当てつけは、ロムニーの前の税申告や、彼がベイン・キャピタルで働くのを止めた日や、マサチューセッツ州の知事として、ソルトレイク・シティのオリンピックを率いる奉仕をしなかった記録のような、この比較的小さな事柄のためである。 「もし米国大統領になりたいなら、金銭のような話になれば人生は開かれた本だと、アメリカ国民は決めてかかった」と2012年8月に宣言しつつ、オバマはロムニーに、自身についてもっと情報を出せという要求を弁護した。『ニューヨーク・タイムズ』紙のポール・クルグマンのようなリベラル派は、ミット・ロムニーの個人史に焦点を当てて、これを熱心に是認している。 もしオバマとその支援者達が伝記に焦点を当てることを望むならば、もちろん、こちらにも手がある。節制があり、穏やかな態度のロムニーは既に、オバマの再選キャンペーンを「欺瞞と不誠実さに基づく」と批判し、あるテレビ広告は、オバマが「真実を語っていない」と主張して、さらに先を行った。
オープンさと正直さに焦点を当てることは、恐らくは、ロムニーよりも遙かにもっとオバマを傷つけることだろう。オバマは、ズレとでっち上げにさえ満ちた自伝で、不可解な候補者であり続けている。例えば、1991年に自伝を売るために、オバマは「ケニアで生まれた」と偽って主張した。彼は1990年代に、シカゴの社会主義の新党の会員にも候補者にもなったことは一度もないと嘘をついた。そして、会員だったことを打ち立てる証拠をスタンレー・クルツが提出した時、オバマの広報担当者達はクルツを中傷し解雇した。オバマが1995年に出した自伝『父からの夢』(Dreams from My Father)(訳者注:日本語版『マイ・ドリーム』木内裕也・白倉三紀子(訳)ダイヤモンド社)は、母方の祖父、父、母、両親の結婚、養父の父、高校の友人、ガールフレンド、ビル・アイヤーズとバーナーダイン・ドーン、そしてジェレミア・ライト師のようなことに関する、不正確さと虚偽の連発を含んでいる。ヴィクター・ディヴィス・ハンソンが書いているように、「もし著述家が、自分自身の母親の末期症状の病気や保険の追求についての詳細をでっち上げるならば、恐らく何でも不正行為をするだろう」。 彼の過去の人生に関する虚偽という、より大きいこのパターンには、オバマの信仰議論という問いが浮上する。多分、最も並外れた怪しからぬ嘘だろう。 矛盾 子ども時代と青年期の宗教について問われ、オバマは矛盾する回答を提示している。2004年3月の質問では、巧妙に策術をもたらした。「ずっとクリスチャンだったんですか?」その返事は「私は母親により多く育てられ、母はクリスチャンでした」。だが、2007年12月には、遅まきながらストレートに答えることを彼は決心した。「私の母はカンザス出身のクリスチャンでした…私は母親に育てられました。だから、私はいつもクリスチャンだったのです」。しかしながら、2009年2月には、彼は全く違った説明を出した。
2010年9月、彼はこの回答をさらに詳述した。「人生の後になって、私はキリスト教信仰に至りました」。 どちらなのか?オバマは「ずっとクリスチャンだった」のか、それとも、大学の後で「クリスチャンにな」ったのか?彼の自伝の正確さに関する一般的な疑問に追加される時、アイデンティティの問題にとって、自己矛盾はあまりにも根本的である。真実を語ることにまつわる疑念が浮上する。真実を語っている人は、自分自身について、それほど多様に相反する事柄を述べるだろうか?非一貫性は、偽造の典型である。物事をでっち上げる時、同じ話を守ることは困難だ。オバマは何かを隠しているように見える。彼は、反宗教的な両親から生まれた無宗教の子どもだったのか?それとも、彼は常にクリスチャンだったのか?ムスリムだったのか?それとも、実は彼は、自分で造り上げた何かだったのか-クリスチャン兼ムスリム? オバマは二冊の著書『(父からの)夢』と2006年の『大胆な希望』(Audacity of Hope)(訳者注:日本語版『合衆国再生-大いなる希望を抱いて』棚橋志行(訳)ダイヤモンド社) で、彼のイスラーム的な背景について幾らか情報を提示している。2007年、ヒラリー・クリントンが、まだ人気のあった民主党の大統領候補だった時、多数の報道者が、インドネシアでのオバマ時代について情報を掘り起こした。大統領としてのオバマの声明は、彼のメンタリティについて重要な洞察を提供してきた。しかしながら、オバマの主要な自伝類は、(例えば、ディヴィド・マラニス、ディヴィド・メンデル、ディヴィド・レムニックのように)友好的であれ、(例えば、ジャック・キャスヒル、ジェロメ・R・コルシ、ディニシュ・ドソウザ、アーロン・クライン、エドワード・クライン、スタンレー・クルツのように)敵対的であれ、この話題にほとんど留意を注いでいない。 私は、近年の確証された証拠を提供し、ムスリムとしての彼の認識を調査し、オバマの自伝的フィクションという、もっと大きな文脈にこの欺瞞を置くことで、彼がムスリムとして生まれ育ったことを立証しよう。 「私は一度もムスリムだったことはない」 オバマは、彼の父方の祖父フセイン・オニャンゴ・オバマがイスラームに改宗したことを、躊躇なく認めている。実際、『(父からの)夢』(p.407)は、祖父がそうしたことの理由を父方の祖母が説明している長い引用を含んでいる。キリスト教のやり方は、彼にとって「馬鹿げた感情」「女を慰めるもの」であるように見えた。それで、「その実践は、彼の信念ともっと密接に一致する」(p.104)と考えて、イスラームに改宗した。オバマはこれを、来る者すべてに快く語った。例えば、「ムスリムですか」と床屋に尋ねられた時(p.149)、彼は答えた。「祖父はそうでした」。 オバマは両親や養父を非宗教的だと表現している。彼は(『大胆な希望』2006 年pp.204-5で)記している。彼の「父はムスリムとして育てられてきた」が、同様に「世俗主義者を名乗った」バラックの母親と出会った時には「凝り固まった無神論者」だった。彼の養父であるロロ・ストロは、「ほとんどのインドネシア人のように、ムスリムとして育てられた」。実践しない、宗教混合的なもの(『(父からの)夢』p.37)だったけれども、「古代のアニミズムとヒンドゥ教信仰の面影をより残す余地のある型のイスラームに従っていた」。 彼自身に関しては、オバマはイスラームとの多数のつながりを認めているが、ムスリムであることは否定している。「私が持っていたイスラームとの唯一のつながりは、私の父方の祖父がその国の出身だったということだ」と、2007年12月に彼は宣言した。「だが、私は一度もイスラームを実践したことがない…しばらくの間、私はインドネシアで暮らした。なぜなら、母がそこで教えていたからだ。そして、あそこはムスリム国だ。私は学校へ通った。だが、実践しなかった」。同様に、2008年2月にも言った。「私は一度もムスリムだったことはない…自分の名前と、子どもだった時の4年間、ムスリム人口の多い国で暮らしたという事実の他は、イスラーム教とのつながりは、ほとんどない」。ここで彼の「私は一度もムスリムだったことはない」という率直な言明に注目せよ。「バラック・オバマはムスリムではないし、一度もムスリムだったことはない」という見出しの下で、オバマの最初の大統領キャンペーンのウェブサイトは、2007年11月のもっと強調した言明さえも掲載している。「オバマは一度もモスクで祈ったことがない。彼は一度もムスリムだったことはない。ムスリムとして育てられなかった。そして献身的なクリスチャンである」と述べている。 「バリーはムスリムだった」 しかし、証拠の多くの断片が、オバマはムスリムとして生まれ、育てられたと論じている。 (1) イスラームは父系性の宗教。イスラームにおいては、父が信仰を子ども達に伝える。そして、ムスリム男性が非ムスリム女性と子どもを持つ時、イスラームは子ども達をムスリムと考える。オバマの祖父と父はムスリムだった― 敬虔さの程度は全く関係がない―つまり、ムスリムの目には、バラックはムスリムとして生まれたのだという意味だ。 (2) H-S-Nという三音から成る語根に基づくアラビア語の名。これらの名前全て(フサインまたはフセイン、ハサン、ハッサン、ハッサネイン、アーサンその他)は、専らムスリムの赤ん坊達に拝領される。(同様のことがH-M-Dという語根に基づく名前にも言える。)オバマのミドル・ネームのフセインは、明らかに、彼が生まれながらのムスリムであることを宣言している。
(4) ベスキ地区でムスリムとして登録されたこと。ベスキ(メンテン地区としても知られる)は公立学校であるものの、好奇心をそそることに、オバマは『(大胆な)希望』(p.154)で、ジャカルタで通った「ムスリム学校」と言及している。その記録は残っていないが、何名かのジャーナリスト達(『トロント・スター』紙のハローン・シディキ、『ロサンジェルス・タイムズ』紙のポール・ワトソン、『ワシントン・ポスト』紙のディヴィド・マラニス)が皆確証していることは、そこでも彼は、ムスリムとして登録されていたことだ。 (5) ベスキでのイスラーム授業。ベスキで「コーラン学習の間、私が顔をしかめていたと母に伝える手紙を、先生が書いた」と、オバマは(『(大胆な)希望』p.154で)言及している。ムスリムの生徒達のみが、週に二時間のコーラン授業に出席したと、ワトソンは報じている。
『ワシントン・ポスト』紙のアンドリュー・ヒギンズは、オバマが授業中に馬鹿騒ぎをして、コーラン読誦の間「変な発音のために笑われ」ていたと言った、元同級生のルリー・ダッサードを引用している。マラニスは、その授業が「祈り方やコーランの読み方」を勉強するのみならず、実際に金曜礼拝では、学校のまさにグラウンドで祈ることも含んでいたと知った。
(6) モスク出席。半分血を分けたオバマの妹であるマヤ・ストロ・ンは、彼女の父親(つまりバラックの養父)は「共同体の大行事」のためにモスクに出席したと、述べた。バーカーは、「オバマが時折、養父に従って金曜礼拝のためにモスクに行った」ということを発見した。ワトソンは次のように報告する。
(7) ムスリムの服装。アディはオバマについて回想する。「私は彼がサロンを着ていたことを覚えています」。同様に、マラニスも「彼のクラスメート達はバリーがサロンを着ていたことを思い出した」のみならず、合衆国でもこの布を身につけ続けていたことを示唆する手紙の交換を見出した。この事実は、インドネシア文化ではムスリムのみがサロンを着るので宗教的な意味合いを有している。 (8) 敬信。オバマは、インドネシアで「(イスラームを)実践しなかった」と述べている。彼が教えを厳守しないムスリムだという含みを持たせることで、自らのムスリムのアイデンティティをそれとなく認識しているという主張である。だが、彼を知る何人かは、この回想と矛盾することを言っている。ロニー・アミールはオバマが「以前はイスラームにおいて全く宗教的だった」と描写している。元教師のティネ・ハヒヤリは、『カルティム・ポスト』紙上で引用されたが、将来の大統領が上級イスラームの授業に参加したと述べている。「彼がムンガジを勉強していたことを覚えています」東南アジアのイスラーム文脈では、クルアーンをムンガジするとは、アラビア語でコーランを朗誦することを意味し、上級の勉強を示す難しい課業である。 要約すれば、記録が指し示すのは、オバマが、非実践のムスリムの父親の下でムスリムとして生まれたということ、そして、インドネシア人のムスリムの養父の保護の下、充分なムスリム環境で4年間暮らしたということだ。これらの理由のため、インドネシアでオバマを知っていた人々は、彼をムスリムだと考えたのだ。 「私のムスリム信仰」 それに加えて、近年のオバマによる幾つかの発言は、ムスリムとしての彼の子ども時代を指し示している。 (1) オバマの初の大統領選のために、キャンペーン・コミュニケーション代表を務めたロバート・ギブスは、2007年1月に主張した。「オバマ上院議員は一度もムスリムだったことはありませんし、ムスリムとして育てられませんでした。そして、シカゴの合同キリスト教会に出席する献身的なクリスチャンです」。だが彼は、「オバマは一度も実践的なムスリムではありませんでした」と主張して、2007年3月に撤回した。子どもとしての実践に焦点を当てることによって、そのキャンペーンは、宗教的アイデンティティにとって実践は中心的でないと考え(るユダヤ人のように)、ムスリムにとっての非係争問題を持ち上げている。ワトソンによる言い換えによって、ギブスは付け加えた。「子どもとして、オバマはイスラームの中心地の近所で時を過ごしました」。明らかに、「イスラームの中心地の近所」は、「モスク」の婉曲法である。そこで時間を過ごすことは、ムスリムであるオバマを指し示すことである。 (2) コーラン授業で彼はしかめ面をしたのかもしれないし、騒ぎ回ったのかもしれないが、オバマは宗教の授業で、サラートという祈り方を学んだ。ベスキの元教師だったエフェンディは、彼が「ムスリム祈祷に他の生徒達と参加し」たものだと思い出している。サラートで祈ることそのものが、オバマをムスリムにした。さらに、彼は今でも誇り高く、昔の授業の知識を保持している。2007年3月に、『ニューヨーク・タイムズ』紙のニコラス・D・クリストフは、オバマが「(クリストフにとっては)第一級のアクセントで、アラビア語の祈祷の呼びかけの最初を唱えながら思い出した」のを目撃した。オバマはサラートそのものを唱えたのではなく、祈祷への呼びかけである(典型的にはミナレットから繰り返された)アザーンを唱えたのだった。アザーンの第二節と第三節は、イスラームの信仰告白であるシャハーダで構成されているが、その発話はムスリムのものである。(繰り返しを省いた)スンニー派の反復におけるアザーン全体は、次の通りである。
ムスリムの目には、1970年の授業でアザーンを朗誦することは、当時、オバマをムスリムにした。再びそうすることで、2007年に、あるジャーナリストにとっては、再びオバマをムスリムにしたのだった。 (3) 2008年9月のジョージ・ステファノプロスとの会話で、オバマは「私のムスリム信仰」について語った。ステファノプロスが割り込んで訂正した後になってやっと「私のキリスト教信仰」と変えたのだった。そのような間違いのためには、ある程度の基礎が存在しなければ、「私のムスリム信仰」と誰もうっかり口にはできない。 (4) ムスリムの聴衆に演説する時、オバマは特に、ムスリムのアイデンティティを思い起こすムスリム表現を用いる。(2009年6月の)カイロと(2010年11月の)ジャカルタの両方で、彼は聴衆に「アッサラーム・アライクム」という挨拶で演説した。コーラン授業に行ったので、彼はムスリム相互の挨拶を知っているのだ。カイロで、彼はまた、ムスリム達に自分もその一人であるとシグナルを送る、幾つかの他の敬虔な用語を放った。
オバマの言う「平安があるように」は、アラビア語を話すユダヤ人やキリスト教徒によって決して使われなかった純粋なイスラーム表現であることを超えた、他の意味を有している。まず、自己告白したクリスチャンが信じているものと矛盾する。なぜなら、それはイエスが、モーセやムハンマドのように死んでいることを含意するからである。キリスト教神学は、イエスが甦らされ、永遠の神の子として生きていると奉じている。第二に、ムハンマドをこの祝福に含めることは、彼にとって崇敬を含ませ、ユダヤ教徒がイエス・キリストについて語っているぐらい奇異なことである。第三に、クリスチャンとは、イエスの上に平安を望むよりも、むしろイエスから平安をもっと自然に求めるものである。 (5) オバマの合衆国におけるイスラームについての誇張された不正確な叙述は、イスラーム主義的メンタリティの香りが漂う。彼は合衆国のムスリムの人数とその役割の両方で思い切って過大評価する。2009年6月には、次のように発表した。「もし、ムスリムのアメリカ人の人数を実際に取ったならば、世界で最大のムスリム国の一つになるだろう」。(ほとんどそうではない。合衆国のムスリム人口のリストの一つによれば約250万人で、およそ47番目に位置する。) 三日後、彼は「今日、我が国にいる700万人近くのアメリカのムスリム」という無闇に拡大した推計を出し、奇異に発表した。「イスラームは常にアメリカの物語の一部であった.… 建国以来、アメリカのムスリムは合衆国を豊かにしてきた」。オバマはまた、2009年4月に、疑わしい事実も発表した。多くのアメリカ人達が「家族にムスリムを持ち、あるいは、ムスリム多数派の国で暮らしたことがある」。合衆国の宗教共同体を秩序づける時、オバマは常に最初にクリスチャンを置くが、二番目は、ユダヤ人とムスリムの間で変わる。2009年1月には、最も著名な就任演説をした。「合衆国は、クリスチャンとムスリム、ユダヤ人とヒンドゥ教徒、そして非信仰者達の国です」。オバマはアメリカ生活におけるムスリムの役割をあまりにも無闇に過大評価するので、ムスリム背景を持つ出身者に特有のイスラーム優越というメンタリティを示唆する。 全体として、これらの言及は、彼がムスリムとして生まれ育った子ども時代の証拠を確証する。 「私の全家族はムスリムだった」 オバマをよく知る数名の個人は、彼をムスリムだと認識している。最も顕著なことには、半分血を分けた彼の妹のマヤ・ストロ・ンが述べていた。「私の全家族はムスリムでした」。彼女の全家族とは、明らかに、半分血を分けた彼女の兄バラックを含んでいる。 2006年6月、長い宗教的展開の後、どのようにオバマが「最終的に、ある日、シカゴ南部の95番通りにあるトリニティ合同キリスト教会の側廊へ歩いて行くことができ、キリスト教信仰を確言する」ようになったかを、聖餐の呼びかけと共に関連づけた。だが、トリニティ合同教会の牧師ジェレミア・ライト師が(『アマチュア』(The Amateur)(p.40)でエドワード・クラインに)「オバマをイスラームからキリスト教へ改宗させたのですか」と尋ねられた時、無知からなのか思慮分別からなのか、「それは言うのが難しい」と不可解な方法で返答しつつ、ライトはその問いに巧妙に答えた。オバマがムスリムだったという考えを即座に拒否していないことに気づけ。 二度会ったことのある、半分血を分けたバラックの30歳の弟ジョージ・フセイン・オニャンゴ・オバマは、2009年3月のインタビューで述べた。「彼は、置かれた立場のために、違う風に行動しているのかもしれませんが、内面ではバラック・オバマはムスリムです」。 「彼のミドル・ネームはフセイン」 オバマが宣言したキリスト教のアイデンティティの下で、ムスリム達は、オバマが真にムスリムの一人だと分別を説くことができない。 トルコ首相のレセップ・タイップ・エルドアンは、フセインは「ムスリム」名だと言及した。オバマについてのムスリムの議論は、時々、更なるコメントが必要とされずに、コードとして彼のミドル・ネームに言及する。『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙に引用された、ベイルートでの会話は、当惑する説明文をつけた。ある食料雑貨商は観察した。「彼はムスリムだから、アラブ人にとって善人でなければならない」。「彼はムスリムではない、クリスチャンだ」と客が答えた。雑貨商は、いや、と言った。「彼がクリスチャンのはずがない。彼のミドル・ネームはフセインだ」。名前が証明を肯定的にする。
説明の仕方によって、ハサン(訳者注:アスマ)は、オバマのミドル・ネームに言及する。「(私も含めた)私の知るムスリムの大半は、オバマがムスリムじゃないって受け入れているようには思えません」。もしムスリムがこのような雰囲気を受け取るならば、驚くべきことではないが、アメリカの一般もそうだ。人々と報道のためのピュー調査センターによる2008-09年の5回の世論調査は尋ねている(http://pewresearch.org/pubs/1176/obama-muslim-opinion-not-changed)。「バラック・オバマの宗教が何か、たまたまご存じですか」。登録されたアメリカ人有権者の共和党員と福音派の間では、もっと大きな比率で、彼が本当はムスリムだと断言しているのが、一貫して11-12パーセントだとわかった。この人数は、2010年8月のピュー調査では18パーセントまで増加した。2012年3月のある世論調査では、アラバマとミシシッピの共和党の有権者達の恐らくは半数ほどが、オバマをムスリムだと見ていることがわかった。2012年6-7月のピュー調査でわかったことは、17 パーセントがオバマはムスリムだと述べていて、31パーセントは彼の宗教を知らないと答えた。たった49パーセントが彼はクリスチャンだと同定している。これは、オバマがクリスチャンであると言う人々とそうではないという人々の間でさえ、裂け目を指摘している。 彼をムスリムだと思う人々もまた圧倒的に彼の業務成果に不承認であることは、ムスリムのアイデンティティと失敗した大統領職の間の彼らの心の中にある関係を指し示す。一般大衆のこのような実質的な部分が、この見地において続いていることは、クリスチャンだというオバマの言葉を受け取ることに根底では躊躇していることを示す。これが、結局は広範に及ぶ感覚を反映している。オバマは態度がころころ変わり、伝記は不正確だ、と。 「彼はイスラームに興味があった」 インドネシアで学校に通っている間、オバマがコーラン授業に出席していたことは有名だった。余り知られていないが、2004年3月に彼が思い出したには、アッシジ校で「聖書とカテキズムを勉強していた」ことだった。これらの授業のそれぞれは、まさに信者のために意図されたので、両方に出席することは不定期だった。彼の元教師の何人かは、オバマの回想を確証している。この話題に関する三点を以下に列挙する。
この二重の宗教性は、衆目の認めるように、オバマが国際的な人格である時、彼の宗教的所属の本質が政治的な含みを帯びた時、一度に議論されているのである。それでも、彼のインドネシアでの過去に由来する三人の人物は、独自に、この同じ点に言及したが、それは驚くべき事で、バラック・オバマの個人的な成長の複雑さを指摘する。それらもまた、確定的ではないが好奇心をそそる可能性を浮上させる。6歳から10歳までという幼少時でさえ、クリスチャンでありムスリムでもあると自らを表しながら、オバマは母方と父方の宗教を個人的な混交体に組み合わせようとした。微細な方法で、彼はまだ、まさにそれをしているのである。 真実を発見して 結論として、利用可能な証拠が示唆していることは、オバマはムスリムとして生まれ、育てられ、20代の終わりまで、ムスリムのアイデンティティを保持したということである。ムスリム男性の系統の子で、ムスリム名を与えられ、ムスリムとしてインドネシアの二つの学校に登録され、コーランを宗教の授業で読み、イスラームの信仰告白を今でも唱え、仲間の信仰者のようにムスリム聴衆に話しかける。非実践のムスリムの父、ムスリムの養父、ムスリム環境で4年間暮らした間、彼は他人によってもムスリムと見なされ、自分自身でも見なした。 これは、彼が実践ムスリムだったということ、あるいは、彼が今日もムスリムであり続けているということを言っているのではない。ましてや、彼がイスラミストだということでも、ムスリムの背景が彼の政治的見解(それは、実はアメリカ左派の典型である)に重要な影響を与えているということでもない。また、イスラームからキリスト教への改宗について問題があるということでもない。問題は、ムスリム・アイデンティティにまつわる、格別な、そして繰り返されたオバマの嘘である。単一の偽り以上に、オバマ自身の宗教的背景の扱い方が、道義的失敗を露わにしている。 オバマの真実性に関する疑問 だが、これらの失敗はアメリカの選挙民達に専ら知られないままだった。彼の場合と『稀少な鉱石』(A Million Little Piece)の著者ジェームズ・フライの場合との対照を考えよ。フライとオバマの両方とも、不正確な思い出を書いた。オプラ・ウィンフリーが支援し、ノン・フィクションのベストセラー・リストのナンバー1にまで上がった。ドラッグ使用についてのフライの文字通りの虚偽と犯罪性が明らかになった時、ウィンフリーは彼を意地悪く攻撃した。図書館は彼の本をフィクションとして再分類し、出版社は騙されたと感じた購入者達に返金した。 反対に、オバマの欺瞞は呑気に言い訳されている。スタンフォード大学の英語教授であるアーノルド・ランパーサドは自伝を教えているが、『(父からの)夢』が「あまりにも賢いトリックに満ちている―文学効果の発明―ので、非常に驚かされ、驚嘆さえした。だが、間違えてはいけない。これらは単にトリックなのだ。アートが下取りして、これらのトリックから私達の真実の悟りが来るはずだろう」と感嘆して呼んだ。セント・ルイスのワシントン大学で英文学とアフリカ系アメリカ研究の教授であるジェラルド・アーリーはもっと先を行っている。「彼がガラクタを作っていたなら、本当に問題はない.…。バラック・オバマが『父からの夢』で絶対的な真実を語ったかどうかは、私はあまり重要だとは思わない。重要なのは、どのように彼が人生を構築したいと欲したか、だ」。 米国大統領の自伝が及第点を得ている一方で、彼の卑劣な活動についてのいかがわしい物語が高い倫理基準を鼓舞しているとは、何と奇妙なのだろうか。狡いディック、贋のバリーのために席を譲れ。 2012年9月14日追記:上記の分析で含めなかった二、三の注記。
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